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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)10363号 判決 1965年10月26日

原告 桜井範治

被告 国

訴訟代理人 鎌田泰輝 外一名

主文

被告は原告に対し金九五万五、一四〇円およびこれに対する昭和三八年一二月一三日より支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、原告が昭和三五年九月一四日静岡地方検察庁沼津支部により訴外林邦男に対する傷害致死の罪で起訴され、同事件が昭和三八年八月一〇日東京高等裁判所第四刑事部において結局無罪の判決があり、それが確定した点は当事者間に争いがない。

右事件における起訴事実は、成立に争いない乙第一号証によると、「原告は昭和三五年八月一四日午後七時過頃、三島市梅の平所在芦の湖スカイライン工事資材搬入用仮設道路上において、林邦男(当三〇才)と些細なことから口論し、憤慨の果て同人を右路上に投倒し、同人に頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、因つて右頭蓋底骨折による脳圧迫のため、同月一五日午前二時過頃、同人を三島市宮川町一五二六番地所在吉田医院において死亡するに至らしめた」というにあることが認められる。

二、原告は右起訴事実につき、捜査開始当初より一貫して右林邦男を投倒した事実はなく、当夜同行していた右林とともに誤つて道路わきの斜面から転落し、その際、右林がその死の原因となつた傷を負つたものであると主張し続けた点は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三五号証によると、第二審の東京高等裁判所において無罪の言渡を受けたのは、ほぼ原告の主張のとおりの事実を是認された結果であることが認められる。そして成立に争いのない甲第八、第一一ないし第一四号証、第二一ないし第二六、第二九号証、第三一ないし第三三号証、第三七ないし第四六号証、乙第二号証、第七号証の一ないし八、第一〇号証、第一一号証の一ないし五、第一二号証の一ないし六、第一四号証の一ないし六、第一六号証に原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、第二審判決が正当であつたことが認められる。

三、右事件につき、被告は検察官が起訴した理由は、主として受傷の原因につき被害者林が柔道で投げられた旨を病院で鈴木二郎医師に告げていること、森岡寛医師の林の死因は路上に投げつけられ、頭部を強打したことによるとの鑑定の結果、原告の柔道の技能、原告が事件当時飲酒しており、林と口論をしたこと、現場の状況、それと訴外芦沢安彦の供述を総合し、なおかつ原告の主張にしたがつて現場を捜査したところ、林と原告が転落した崖下に石が一個あつたが、その石によつて林がそこで受傷したとみるのは困難であると考えられたところから、原告が有罪であるとの心証をもつにいたつたものであると主張し、起訴処分をした検察官矢野勝人も証人としてほぼ同様に述べている。

四、よつて、右諸点を中心として本件起訴の当否について判断する。

(一)  成立に争いのない甲第四四、四五号証によると、訴外林が死亡する直前診察にあたつた三島市吉田医院の医師訴外鈴木二郎が警察官に対し、林が友人と柔道をやつて投げられたといつた旨の供述をしていることが認められ、原告が柔道の有段者であることは原告も認めるところであるが、原告は終始林を路上に投げつけたことはない旨述べていたものであり、原告と林が道路わきの崖下に転落したことは当事者間に争いないところで、成立に争いのない乙第一一号証の三、四(原告の供述調書)によると、林と原告がもつれあつて崖下に転落した際、原告が林の袖を引張つたかのように供述していることが認められ、林は原告に柔道で投げられたと感ずるような状態で転落したとも考えられないではなく、証人矢野のいうように死の直前に述べた言葉であるから真実だと考えるのも、本件においては必ずしも妥当とはいえず、鈴木の供述によつて、直ちに林が原告によつて路上に投げられたとの事実を認定するのは軽卒であつたというべきである。

(二)  成立に争いがない乙第七号証の八によると、訴外森岡寛作成の鑑定書には、訴外林の受けた傷について、屍体の前頭部右側に挫創があり、それに一致して頭蓋骨に浅在性の外板にとどまる骨折があり、また前頭部左右頭頂部、右側頭部全体に挫傷が存在するが、以上は「本件ニ関シ甚大ナル損傷ト推定セラル部位ニシテ鈍体(例ヘバ硬キ道路上ノ様ナモノ)ニテ強打セシメラレタルノ証跡ナリ」とし、さらに頭蓋底骨折があるが、これは「本件ニ関シ硬キ鈍体(例ヘバ硬キ道路面)ニテ頭部ヲ強打即チ投ゲラレタルト推定スル証跡ナリ」と注釈する。そして、左胛肩上外側左肘関節後面外側、左膝関節前面、左骨盤外側などに擦過性表皮剥脱が認められるが、これは「本件ニ関シ争闘中障害物ニテ擦過セラレタル証跡」であり、結局以上の諸点から、本件成傷器の種類、用法は、兇器を使用したものではなく、争闘し硬い鈍体(即チ硬イ道路)に投げ頭部を強打せしめたものであると推定している。しかしながら、被疑者本人が被害者を路上に投げたことを否定している本件においては、右鑑定書から直ちにその死因を路上に投げられたときの受傷と断定するのは早計に失し、少なくとも鑑定人森岡を尋問して鑑定書の記載内容を確かめ死因が何であるかを更に検討すべきであつたというべきである。(結果論としてではあるが、林の傷は第一、二審における検証調書)成立に争いのない乙第一〇号証、甲第二一号証)、第一審裁判所における森岡寛の証言(第二回)(成立に争いのない乙第一二号証の二)、第二審における上野正吉作成の鑑定書と同人の証言(成立に争いのない甲第一四号証、第二九号証)、船尾忠孝作成の鑑定書(成立に争いのない甲第三三号証)を総合すると、第二審判決が認定するように、まず前頭部骨折が外板骨折にとどまることから右受傷は決して仮設道路上で受けたものでなく、また頭蓋底骨折も仮設道路上で発生したとみられないことが認められる)。しかるに担当検察官は森岡の鑑定書に何らの疑問を抱かず、被害者林の死因を路上における受傷と判断して起訴したことは証人矢野の証言に照らして明らかである。

なお、成立に争いのない甲第四〇号証によると、原告は右事件の翌日、前示の崖下へ林とともに転落した際に受けた傷によつて入院しており、原告を診察した同病院堀内満は警察官に対し、原告は右転落により頭部その他に打撲創擦過創を負つており、とくに脳震盪の症状を起しうるので入院加療が必要であつたと供述していることが認められる。

以上の諸点と原告の供述と総合して考えると、森岡鑑定書の下す推定が必ずしも正確ではなく、疑問の余地があると判断すべきであり、右鑑定書の記載をそのまま信用した点に過失があるといわざるをえない。(死因が何であるかを決定するにあたつては充分慎重であることが望まれる)。

(三)  検察官が、林が原告によつて路上に投げられたものと認定した情況証拠としている芹沢の供述も、成立に争いのない甲第四三号証、乙第一六号証によると、警察官ならびに検察官に対する供述調書中には、原告と林とが崖からすべり落ちた後、仮設道路上に這い上り、そこで道路からすべり落ちた原因や、原告が転落する際見失つた登山帽を林が捨つて持つておりながら直ちに返還しなかつたことなどから右両者の間に口論となり、そのうち突然音がしたので、みると林が道路上に尻もちをついたかつこうで頭を抱えたことを目撃したことを述べており、しかもそれ以上を出ないことが認められ、証人矢野の証言によつても芹沢は右供述調書記載以上のことは何も述べなかつたことが認められる。そして、原告が訴外林を投げたという供述のない点は当事者間に争いがないところである。

原告が柔道五段の腕前であることは原告が自認しており、事件当事、原告等三名とも飲酒していたことも当事者間に争いないところであるが、芹沢および原告の供述その他の起訴までの捜査段階における証拠中に、原告が林を柔道で投げ倒すほど緊張した情況が存在したことを認めるに足る証拠は何も存しない。したがつて原告に柔道の腕前があり、事件当時飲酒口論があつたからといつて、直ちに原告が林を投げ倒したと認めることは困難である。そればかりか検察官が証拠として重視した鈴木二郎の供述(甲第四四、四五号証)も、林は柔道をやり投げられたといつたというだけで、路上に投げられたとは述べておらないから、右供述は原告の主張する崖下への転落の事実と必ずしも矛盾するものでなく、森岡の鑑定書が問題のあるものであつたこと等は前記のとおりである。してみると、原告の柔道の技能、原告と林との口論の事実を根拠とし、芹沢、鈴木の各供述を有罪証拠として重視した点にも過失があつたといわざるをえない。

(四)  原告と林とが転落した崖下には石塊があり、ルミノール検査が行われた結果、この石塊に陽性反応があつたことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない乙第一二号証の三によると、警察官による実況見分後附近一帯についてもルミノール検査がなされたことが認められる。右の事実は、原告の主張にしたがつて捜査の行われたことを示すのであるが、証人矢野勝人は右陽性反応は人血であるとは確認できなかつたから、転落による受傷とは考えられなかつたと述べている。しかしながら、弁論の全趣旨と右乙第一二号証の三によると、人血と認め得なかつたのは附着している血液量が僅かであつたためであることが推認できるから、それより直ちに人血附着の可能性を否定し去ることはできない。したがつて、証人矢野が供述しているように人血と証明できなかつたことを起訴理由の一つとしたことは妥当でなかつたと認められる。

五、以上にみたように、本件刑事事件は鈴木の林が死亡前に原告に柔道で路上に投げられたといつたという供述、森岡医師の死因が路上による強打(投げられたため)の受傷と認められるような鑑定書を重視し、これに芹沢の供述を情況証拠として原告が否認し、しかもその否認が必ずしも理由ないものとは考えられない情況にあつたにかかわらず、森岡について死因が何であるかを確めることもせず起訴したものであることが認められる。

ところが、本件刑事事件が第二審において無罪とされたことは当事者間に争いがなく、無罪の判決が正当とみられることも前に認定したとおりである。しかも、本件について起訴当時の資料により起訴の判断をするについては前述のとおり種々の疑問点が存在していたのであるから、それらの証拠資料だけでは原告に犯罪の嫌疑が十分と認定しえないものであつたとみるのが相当であり、本件の起訴は不相当であつたというべきである。証人矢野勝人は、主観的には四分六分の割合で有罪の心証を有したというが右の程度で起訴すべきかは現行刑事訴訟法のとる建前からみて問題の余地なしとしないが、それはともかくとして以上認定の事実により判断した諸事情から総合するときは本件につき起訴をした検察官に過失の責がありといわざるを得ない。被告は被害者が死亡しているという結果の重大さも起訴理由の一つとしてあげるがそれはそれとして、それ故に証拠が多少不十分でも起訴して好いとの推論は許されない。

要するに、本件起訴行為は違法たるを免がれず、国は右検察官の行為につき国家賠償法第一条第一項に則り、右により原告の受けた損害につき賠償の責に任すべきである。

六、そこで進んで損害賠償の額について検討する。

原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める甲第四七号証および原告本人尋問の結果によると、本件刑事事件に関連して、原告はその主張のとおりの交通費(原告が裁判所へ出頭するためのもので、金四、三〇〇円)、弁護士料(合計金一五万円)、同報酬(合計金二〇万円)および同旅費宿泊費(金一〇万〇、九四〇円)を支払つた事実が認められる。(その総合計は金四五万五、二四〇円となるが、金四五万五、一四〇円を請求しているのでその限度で認める)。

また原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、原告は本件刑事事件で起訴されたことにより多大の精神的苦痛を蒙つたことがうかがわれるので、そのための慰藉料は金五〇万円をもつて相当であると認める。

刑事補償法に基く補償金が支払われているからといつて前認定の損害をてん補するものではないから、被告の抗弁は理由がない。

以上に認定したところによれば、被告は原告に対し金九五万五、一四〇円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三八年一二月一三日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あることが明らかである。

七、よつて原告の被告に対する本訴請求は右認定のとおり理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 岡垣学 荒木友雄)

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